開業した先生の声
2025.05.30
物件を探すにあたって、最も重視していたポイントは「立地」です。開業された先輩たちが口をそろえて「立地は譲れない条件」と話していたので、京王線特急の停車駅である千歳烏山駅から30秒の「クリニックステーション千歳烏山駅前」を選びました。そのため「結果的に医療モールで開業することになった」というのが正直なところですが、メリットは大きいと感じています。
具体的には、モール内の他科のクリニックと連携できるのがありがたいですね。尿検査で糖尿病の傾向が見られる患者さんがいればお隣の内科を紹介しますし、反対に排尿のトラブルを抱えた高齢の患者さんを当院へ紹介いただくこともあります。まだ開業から1年も経っていない段階で、紹介件数は15件くらいに上りました。
「人を助けられる仕事をしたい」と考えたのが大きな理由です。父と祖父も医師なので、環境による影響もあったと思います。家族から「医師になれ」と言われたことはありませんが、2人の背中を見て自然と憧れるようになったのかなと。小学校の卒業文集には、すでに「将来は医師になりたい」と書いていました。
泌尿器科を専門に選んだのは、腎移植医療に携わりたかったからです。研修医の頃に、腎移植の手術を受けて見違えるほど回復した患者さんを目の当たりにし、感動したのを覚えています。腎臓疾患は基本的に治らない病気で、病状が段々と悪化し、最終的には透析に進むもの。しかし、腎移植なら「一発逆転」を狙えます。自分もそんな治療を極め、多くの方々を救いたいと思いました。
私が生まれ育った地元である世田谷区には泌尿器科が少なく、以前から地域の方々や医療関係者が困っているのを見て、使命感を持つようになったのが大きな理由です。45歳という年齢を迎え、新しいことにチャレンジするならそろそろ踏み出さねばと思い、2024年3月に大学病院を退職することを決めました。
ただ、開業を検討する上では「マンネリ化しないだろうか」という不安がありました。これまで約18年にわたって大学病院で手術をメインに担当してきたので、もちろん外来診療も好きではあるものの、手術から離れることはネックだったんです。そんなとき、世田谷区の久我山病院に勤める後輩ドクターから「クリニックを開業しつつ、うちで一緒に手術をやってほしい」と誘われて。おかげで、迷いなく開業できました。
現在は、休診日の木曜日に久我山病院で手術を担当しています。当院で診断した患者さんを久我山病院で私が手術し、再びクリニックに戻ってフォローアップするケースもあります。
「開業してよかった」の一言に尽きます。先ほどマンネリ化を懸念していたとお話しましたが、そんな心配はまったく無用でしたね。大学病院では、自身の専門である腎がんと腎移植の患者さんしか診る機会がないのに対し、今は診療の幅がぐっと広がりました。排尿トラブルを中心に、男性更年期や小児の成長に関するお悩みなどにも対応しています。勉強になることが多く、毎日が充実しています。
また、生まれ育った地域で開業したため、患者さんと「地元ならではの会話」ができるのが楽しいです。疾患の話以外のコミュニケーションがあるのも、クリニックのよさだと感じています。それから、プライベートの時間が増えたこともメリットでした。大学病院に勤めていた頃は、突然やってくる臓器提供のタイミングに合わせて手術の予定が入るので……。今は急な呼び出しもなくなり、家族との時間が増え、睡眠時間も十分に確保できるようになりました。あとは、15年ほど前にやっていたゴルフを再開したんです。世田谷区医師会のゴルフコンペにも参加しており、地域の医師の皆さんとつながりができて、とてもうれしく思っています。
目指すは「地域で最も患者さまから信頼され、またスタッフが幸せになれるクリニック」です。直近の具体的な目標としては、前立腺肥大の日帰り手術を扱えるようになりたいと考えています。久我山病院ですでに実践しているので、そちらでノウハウを確立し、当院に落とし込みたいなと。
ありがたいことにクリニックの患者数はどんどん増えているので、時間の面でも課題がありますが、地域貢献の幅を広げられるようにチャレンジしたいですね。
クリニックのコンセプトを明確にすることは、必須だと思います。コンセプトが曖昧だと、周囲に流されて「やりたくない診療」にまで手を広げてしまいかねません。私の場合「長年大学病院で働いてきた自分が開業するにあたり、どんなことができるか、何をすべきか」を、とことん考えました。
その結果「大学病院の診療をできる限りそのまま地域に持っていきたい」と思い至ったんです。その軸がぶれない=やりたい診療をやれているので、ストレスはありません。皆さんにも、最初の土台づくりを大切にすることを強くおすすめします。
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