葛藤の末に決意した開業。癒しを与える“脳のかかりつけ医”を目指す
- 更新日時
- 2020.10.19
- カテゴリー
- 編集部レポート
クリニックの開業を目前に控えたドクターが、今何を考え、悩み、いかにして困難に立ち向かったのか……そんな開業の準備期間、いわば“エピソード・ゼロ”にフォーカスする本シリーズ。巷にあふれる成功体験記ではなく、開業医の序章を紐解くことで、よりリアルなクリニック開業に迫ります。
初回は、大阪市城東区の医療モール「クリニックステーション野江」に開業される脳外科医の岩田 亮一先生にお話を伺いました。「脳のかかりつけ医になりたい」と話す岩田先生の“始まりの物語”を紐解きます。
【プロフィール】
岩田 亮一(いわた りょういち)
日本脳神経外科学会、日本脳神経血管内治療学会、日本脳卒中学会 専門医・指導医。日本がん治療認定医機構 認定医。
1981年、兵庫県神戸市に生まれる。2006年に関西医科大学を卒業後、岸和田市民病院脳神経外科の勤務を経て、2010年には母校の大学病院に戻り助教、講師として手術と研究に邁進。2020年12月「いわた脳神経外科クリニック」開業予定。開業後も複数の提携病院で引き続き手術を担当する。趣味は読書で、特に村上春樹作品が好き。またプライベートでは一児の父で、休日の楽しみは子どもを連れて遊びに出かけること。
気軽にMRI検査が受けられる“脳のかかりつけ医”を目指す
――「いわた脳神経外科クリニック」が掲げる理念について教えてください。
当院の理念は、「脳を守る」です。その実現のためには、病気を早期発見、治療をできる環境づくりが必要。そこで私たちは、“脳のかかりつけ医”として、地域の方々と密接に関わっていきたいと考えています。同時に開院後も最新の医学を学び続け、最新設備を整えた先進的な医療を行いたいと考えています。
――“脳のかかりつけ医”として、具体的にどのような医療サービスを提供していく予定ですか?
まずは、体の些細な異常にもいち早く気づくために、MRI検査を気軽に受けてもらえるようにします。そして何より、脳に関係する可能性がある悩みについて“気軽に話せる窓口”として機能したいですね。例えば頭痛やめまいなど、脳とは関係ないかもしれないけど、「ちょっと不安」という段階でぜひ来院してもらえたらと思います。
脳神経外科と聞くとハードルが高く感じてしまう方も少なくないと思いますが、私は“脳外科医と患者”である前に“人と人”としてお付き合いをしていきたいので、遠慮なく頼ってもらえたらうれしいです。私は幼少期からおじいちゃんになついていて、山や川によく連れて行ってもらいました。その祖父がパーキンソン病を患ったときに、MRI設置のクリニックを開業してほしいと懇願されたんですね。開業前には他界してしまいましたが、いまはそれが実現されます。皆さんが安心して自分らしく人生を楽しみ、そして人生の目標を達成する……そのお手伝いができるクリニックを目指していきたいです。

患者さんの悩みに寄り添う治療をするべく開業を決意
――岩田院長が医師、そして脳外科医を志したきっかけを教えてください。
私が医師を目指すようになった最も大きなきっかけは、中学1年生のときに阪神淡路大震災を経験したことです。全壊した家から命からがら逃げ出すとき、ガラス片で足にケガを負ってしまって、近所の病院に駆け込みました。結果的には無事に傷口を縫合してもらえましたが、その際に医師から「これが最後の縫合糸だった」と言われて……。もし縫合糸がなくて、あのまま血が止まらなかったらと考えると、ものすごい恐怖に襲われました。身をもって医療のありがたみを実感した出来事でした。
それから、以前父が病気を患って外科医の先生にお世話になったことも、医師への憧れを強めたきっかけです。外科医の道を進んだのは、研修医時代にさまざまな治療の現場を見るなかで、「目の前に倒れている人を自分の手を動かして助けられる医者になりたい」と考えるようになったのが理由です。
そして、どうせ外科医をやるなら難しい病気を治したいと思い、脳外科を選びました。脳はとても繊細な臓器で、一度損傷すると再生することはありません。しかも脳の病気は日常生活の動作に影響を与えることが多く、その治療は患者さんのQOLを大きく左右します。プレッシャーもありますが、非常にやりがいのある仕事だと感じています。
[執刀をされる岩田院長]
――医師以外の側面では岩田院長はどのような方なのですか?
これまでは四六時中、患者さんのこと、手術のこと、研究のことばかりを考えて生きてきました。設計士の妻と共働きなのですが、家事はほとんど任せっきりで申し訳ないと思っています。仕事柄、常に緊張を強いられるのでジョギングや読書などで気分転換を図ることが多いです。休みの日に子どもと外出することが一番の楽しみですね。
[ご家族揃ってお出かけの一枚]
――大学病院を離れ、自身のクリニックを開業することに決めたのはなぜですか?
大学病院では、脳腫瘍や脳血管障害などといった難しい手術を数多く経験してきました。もちろん患者さんには感謝されましたし、やりがいも感じていましたが、手術のみに特化して働くことに対して「本当にこれだけでいいのか」と徐々に疑問を感じるようになったんです。
大学病院に来る患者さんの多くは、すでに何らかの病気を診断されている方です。でも私は、もっと早い段階から患者さんの悩みに寄り添えるようになりたい。例えば、転んで頭を打って救急車で運ばれてきた患者さんがいたら、ただ手術をするだけではなくて“どうして転倒したのか”にまで踏み込んでサポートできるようになりたい。そういった気持ちが開業への想いを強くしました。
あとは、周りの方々の影響も大きいですね。現在も外来を担当している、藍の都脳神経外科病院の理事長先生は、私が尊敬するドクターのひとりです。脳外科医としてはもちろん、経営手腕も非常に優れていて、海外への分院展開など広い視野を持って活躍されています。私の父親も会社の経営者だったこともあり、着実に夢を叶えていく姿は私にとって非常に大きな刺激になりました。
悩みが多かった開業準備。先輩や父親の存在に助けられた
――「クリニックステーション野江」での開業を決めた理由をお聞かせください。
これまで自分が培った人脈を生かして、病診連携をしっかり行いたいと考えていましたので、場所選びではその点を重要視しています。特に現在私が外来を担当している藍の都脳神経外科病院や大阪府済生会野江病院とは今後も連携を考えていますので、その2院との距離は重要なポイントでした。
脳神経疾患の患者さんは麻痺などの後遺症がある方もいるため、通院時の利便性はとても大切です。また、何か気になることがあるときに早期に受診していただくには、クリニックの存在を知っていただいておく必要があります。そうした条件を考慮すると、クリニックステーション野江は駐車場が完備されており、区画も1Fを確保できた点、また地域の方が多く往来する立地面での非常に魅力的な物件でした。